ことごと@lcy_mono

発達障害&双極性障害の気まぐれ綴り@lcy_mono

楽して稼ぐ道はない!

このブログは思いついた『気付き』を題材に書いています。

独断と偏見が交じっておりますので、ふまえて読んで頂けると幸いです。



タイトル通り、楽して稼ぐ道はありません。


アフィリエイトYou Tubeなど、副業をされている人が増えてきていますね。
本業で稼いでいる人もいらっしゃいます。


ただし!
「カフェでゆっくり」「自分のペースで」「〇日で30万」

これらを誘い文句にSNS内からDMが来ると、速攻ブロックしてます。

何故なら「嘘」だから!


ぶっちゃけると「いいなぁ」と思ってしまったら危険です。

そんな仕事があるなら皆、お金持ちですし誰でも始めています。

稼いでいる人ほど、勤勉で努力を惜しみません。

そこを省いて、いきなりお金が稼げることは先ずないです。

そういった誘い文句で甘い水を啜ろうとしています。



以前、ブログで稼ごうとして危うく詐欺に引っ掛かりそうになった事があります。


その時に甘い誘い文句を囁かれた苦い経験があるので、ネットを利用して稼ぐ事にも抵抗や猜疑心があるんですよね。


しかしながら、Webデザイナーを目指すべく勉強を現在していますので「お前もネット利用してるじゃん」と言われたら、その通りなんですが。


今度ばかりは手堅く仕事がしたいので、ネットはネットでも甘い嘘には近寄りたくないという強い思いがあります。
正直、上手そうな話に乗らなければいいんですが。


ネットでもネットを利用しない仕事でも、手堅く時間と苦労を割いてこそ、得られる対価が一番美味しい、と思います(←それってアナタの意見ですよね)。


大概、外出先でもネット環境が整っている昨今、ネットで稼ぐことは安易に出来たりします。


ネットを利用して稼ぐ事が悪いのではなくて、努力しましょうよって話です。


決して楽して稼げることはない、と言いたい。


楽して稼いでいるように見えているだけで、収益の自動化へ持って行くまでの道のりは楽して作れないはずです。


それならXで地道にポストしたりしません。


ここで、中途半端に収益の自動化を書いても誤解を産みそうなので、止めておきます。


ここまで書いてソレかい、と思うかもしれませんね、すみません。


私はアフィリエイトに向いていないし、そこまで労力をかけたいと思えず、
途中で挫折したので半端な所までしか分からないんですよね、ハハハ。


分からない

分かろうと努力しない

そもそも好きじゃない


もう自分が意味分からない


の、ような式が出来上がり、噛り付いたは良いが続かない。
って事柄は今までたくさんありまして。

そんなことはいい加減にしなさいよ、と。
そこで遅いスタートですが元から好きなことで勝負しようと思いました。

私の話は置いといて。


X(旧Twitter)しかSNSはしていないので、何とも言えませんが

必ずと断言できるほど相互フォローになり、速攻DMを送ってくる人は営業です。


やましい事がなければリプライで事済むのに、何故わざわざDMなのか。


怪しい…としか思えません。

やましい事なので、DMなんじゃないでしょうか。

営業する暇があるなら手堅い仕事を探して頂きたい。


人それぞれですが、本気で稼ぐつもりなら、営業する暇はないはずです。


相互フォローした人だけDM許可設定にしていますが、営業メール読む時間はないですよ~

と、だけ物申しておきます。


「DMを送りたいので相互フォローお願いします」

とリプライ頂いた事もありましたが、やはり営業内容でうんざり。


楽して稼ぐ道はありません。お金を稼ぐ事の意味を、しっかり考えてください。


どんな仕事でも手堅く行くなら、血、汗が吹き出そうになりますから。

料理の楽しさを再発見!和食のバランスと工夫

和食とは。

 

和食とは? 和食の7つの特徴と健康に良い理由を紹介 - お役立ち情報 | シェフくるマガジン



年齢のせいか、和食が食べたい!と頻繁に思うようになり、しかし和食ってなんだ?と
上記のURLに辿り着きました。



日本人の生活の中で古くから受け継がれてきた「食文化」。

 

山の幸や海の幸、旬の食材など、自然の恵みに感謝して独特の食文化を発展させてきました。

2013年には和食文化が認められ、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

知らなくてびっくりした。



健康的な食生活を守るためにも、和食文化の良さや特徴を再発見して、家庭でもできるだけ和食を食べることが大切です。


とのこと。

 

日本料理、懐石料理を「和食」としているウェブサイトもありましたが、普段口にする物としては敷居が高く手間も掛かりすぎるので、省きました。

 

上記のURLで触れられているように、「一汁三菜」が適切なように思います。
作りやすいですし。


食べたお弁当の中に鮭のフライ。魚っていいなーと思い、ブログの題材にしてみました。



ちなみに「一汁三菜」とは。


ご飯と、味噌汁などの汁物(一汁)、3つのおかず(三菜)のこと。

主菜:肉や魚などタンパク質を多く摂取できるメインのおかず

  • 副菜:野菜や海藻などビタミン、ミネラルを補給できるおかず
  • 副々菜:足りない栄養素を補うおかず



に、肉だと?

タンパク質が摂れたら魚でも肉でも良いんですね、そ、そっかー肉ねー…。


三菜もこう見ると意外に難しい、と思うのは私だけですかね。

一人暮らしで一汁三菜されている人はもう無条件で尊敬します。作りやすいと書いたの誰だ。



三菜を作るのも手間が掛かりそうです、と云うか料理すること自体がぶっちゃけ手間です。

さらにバランスの取れた和食を作ることは、労力だなぁと思ってしまいますね。


それでも私は和食が食べたい。

なんなら薬膳料理も食べてみたい、と密かに思う。


これまで洋食が好きだったんですけれど、どういう変化なのか…ハンバーグ万歳。

年、なのかなぁーハハハ。


一汁三菜という文化を日常で触れられる日本に住んでいて良かった、


と感じる昨今です。


有料記事の道のり


【有料記事】と聞くと「わっ」って思いませんか?

私だけ?でしたら、この先は読まないことをお勧めします。



完全に私の考えですが「いやぁ~…お金払ってまで読む気しないな」と。

その人のファンだったり、欲しい情報でもお財布と相談…みたいな。


熱量を考えると、それだけの価格設定なんだろうな、と思います。

記事を書くって大変です。その上、ありったけの情報を詰め込んでいますので
「この値段でっ!」ってお気持ちもお察します。


お金を頂くには正しい情報に加え、書き手のカラーのようなものが必要なのではないか、
と思うんです。同じ題材で書き手にしか出せないカラー、のようなものが。

もちろん「ファンだから」「(その人が)好きだから」というのも強みでしょう。

ファンがいる人は、見えないところで物凄い努力をされています。


簡単に有料記事を書いている状態なわけではない。


ってことを強く言いたい。日々の継続と同時に別の事を同時進行している人はザラにいます。

いきなり1記事2記事書いて売れる事はさほど多くないでしょう。


この事を記事にしようと思ったのは、はてなブログでも記事を売ることが出来る

と目にしたからなのですが、まず大抵の人は有料の時点で離れてゆく可能性が高いです。

ましてや知らん人の記事にお金を出して読もうとするか否か、です。


以前、私はnoteで有料化をしましたが、1購読もありませんでした。

そりゃそうですよね、継続の「け」の字もせず、ただ好きだから書く。そんな記事に誰がお金を払うんだ!?って感じです。


基本的に自分の発言を削除するのは好きではないので、記事を遡れば残っているかも知れません…恥ずかしい(遡る人はいないと思うけれど)。



そこで記事を売るなら無料記事を頻繁に更新すべしに繋がります。

日頃から優良記事を書くことで読者を獲得できるようになってきます。

無料で優良記事を公開して膨大な質量の有料記事を小出しにする。


そうすると日頃から優良記事を書く「〇〇さんなら買ってみようかな」と購読者が少しづつ増えてゆきます。

そこまでの道のりが、遠いと思うか近いと思うかはその人次第ですが、有料記事を公開することは甘くないんですよね。


せっかく書いた記事ですので、有料化したい、その気持ちもお察しします。

「売れない…」と肩を落とす前に、自分の記事や日頃の更新頻度を考えてみて頂きたいなーと思うこの頃。

そんな事を思い出すと更新しない私に有料記事は書けません笑

「自己肯定感」とは「ありのままの自分を肯定する感覚」、心の土台のようなもののこと。
 


「ありのまま」とは、「自分の良いところも、悪いところも全部含めて」という意味です。

「今のままの自分でO K」と感じられる状態のこと。




心の土台の部分で「自分はOK」という感覚が持てないと、その不安定さを補うために外側の評価を求め始めます。


外部への評価を求めるのではなく『自分へGOサインを出す』ことで、他者より自分自身を認めることが出来始めて、自己肯定感の高さに繋がります。



「〇〇を持っている自分は素晴らしいけど、それを持っていない自分はダメ」


こんなふうに、条件付きでしか自分にO Kを出せないのが自己肯定感が低いときの特徴です。


「◯◯な自分でも大丈夫」と認めてあげられたら充分OK!と捉えることが出来るようになってきます。



「認められそうな方向」「変だと思われない方向」へ向き、考え方がつい他者寄り視線になりがちに。
「普通は?」「みんなは?」と必要以上に人目が気になってしまうのも、心の土台の不安定さゆえ。




私毎ですが『普通が何か分からない』ので、皆はどうなのだろう?って疑問が沸かないんです。


事を進める基準は自分の中にある傾向があります。ASD-(自閉スペクトラム障害)-からきているのかも?

ASDが功を奏して『個性』と呼ぶのかも知れないな、とも思ったりします。



『認められたい欲求』はあれど、自分が好む事以外には全く興味がない欲張りです笑。


『好み進めた事で勝負する』以外、正直どうでも良いです。


人目もほぼ気にならないので、他者からは「自分勝手」「自己中」「自由」と言われることもあります。




「相手に怒られない方向」「嫌われない方向」を重要視して、本当は嫌だと感じているのに
「自分が間違っているのでは?」と考え、自分を大切に扱ってくれない人のそばに居続けてしまうことも。

ある意味怖いですね。


心の奥底では嫌だと思っているのに、大切に扱ってくれない人のそばにいる必要は本当はないんです。

本当は大切としてくれる人のそばに居たいですよね。

自分に自信を持てないがゆえに自分の発言すら疑ってしまう事もあったりしました。



『自分に自信はない』けれど、自信のない自分もまた一部。

『相手に怒られないよう』『嫌われないよう』と顔色を窺うのにも疲れて飽きました笑



母は幼少期から『過度な期待』『期待に応えた結果を褒めない』『結果の完璧さを求める』ことを私にしてきたように思うのですが。


『常にのしかかる重圧』があり、とても苦しかったです。


その母からも離れた今、『嫌うなら嫌えばいい』『あなたは私にはもう関係ない』と思っています。
ここへ辿り着くまでに人生の半分を費やしてしまいました。



私のようにとてつもない時間を費やして、やっと

『自己肯定感の低さ』から抜け出すよりも、なるべく短い時間で『自己肯定感の高さ』を持てる人が増えたら嬉しいなと思います。


なんて書いていますが、私の自己肯定感は割りと低いです。

この根底にあるのは、恐らく『母からの長い重圧からくるものだ』と思ってはいて、


これを潰さないと私はずっとこのままだ…と母との距離を切るに近い感じで、
断ちました。



パートナーからの影響も強く、本来の私ってこんな感じなんだな、と良い意味で甘えさせてもらっています(彼が逆に大変そうではありますが)。


もう一つ。
自分に自信を持つには、思ったことを成し遂げてみるのもありです。


私は生活リズムを整えることに力を入れました。


一人で実践したので一年半、とても長く掛かってしまったのですが、夜型から朝型人間になる事ができました。


一人で実行することは時間が掛かるので、メンターがいると時短やリアルタイムで質問できたり良い事づくしかと思われます。


ですが、敢えて一人で実行し成功した際には一人ならではの喜びと自信がつくんですよね。


「自分で生活リズムを整えた」こと、良きパートナーに出逢えたこと、

それらの事柄が自信に繋がり、自己肯定感がレベル5(←)くらいに上がったのだと思います。



今(2024/03/09)はWebの勉強を再び一人でしています。

過去に趣味程度ですが、0からHTMLとCSSを参考書を見ながら作っていた、という事から自信に繋がっています。


『これだけの事を一人でやってきた』事実が、点と線で結ばれて今に至る感じです。



自信が自己肯定感に繋がる、と思うのはそういった事例もあるんだな。

と思って頂けたら幸いです。


自己肯定感を高めたいと思っている方は、自己流でも良いですしメンターに教わるなど、
何かしらのアクションを起こすのも一つの手です。


自己肯定感が高まると、気持ちのモチベーションや視点、考え方も変わってきます。

ダメな自分でもいいんです。

完璧な人間はいません。

パーフェクトなようにみえて実はもの凄い努力をしています。



嫌われてなんぼ笑 なので、ある種の開き直りが大切なのかな、と思っています。


嫌いな感情が家族間でもあったりするので、他人やネットの世界ともなれば莫大な嫌われ度になります。
気にしていては何もできなくなってしまいます。


「嫌われても気にしない」「気にしてる暇もない」と思えたら、更に生き易くなりそう。


自己肯定感、爆上がりにならないかなーと思うこの頃です。

自分を認める重要性

「自己肯定感」とは「ありのままの自分を肯定する感覚」、心の土台のようなもののこと。
 


「ありのまま」とは、「自分の良いところも、悪いところも全部含めて」という意味です。

「今のままの自分でO K」と感じられる状態のこと。




心の土台の部分で「自分はOK」という感覚が持てないと、その不安定さを補うために外側の評価を求め始めます。


外部への評価を求めるのではなく『自分へGOサインを出す』ことで、他者より自分自身を認めることが出来始めて、自己肯定感の高さに繋がります。



「〇〇を持っている自分は素晴らしいけど、それを持っていない自分はダメ」


こんなふうに、条件付きでしか自分にO Kを出せないのが自己肯定感が低いときの特徴です。


「◯◯な自分でも大丈夫」と認めてあげられたら充分OK!と捉えることが出来るようになってきます。



「認められそうな方向」「変だと思われない方向」へ向き、考え方がつい他者寄り視線になりがちに。
「普通は?」「みんなは?」と必要以上に人目が気になってしまうのも、心の土台の不安定さゆえ。




私毎ですが『普通が何か分からない』ので、皆はどうなのだろう?って疑問が沸かないんです。


事を進める基準は自分の中にある傾向があります。ASD-(自閉スペクトラム障害)-からきているのかも?

ASDが功を奏して『個性』と呼ぶのかも知れないな、とも思ったりします。



『認められたい欲求』はあれど、自分が好む事以外には全く興味がない欲張りです笑。


『好み進めた事で勝負する』以外、正直どうでも良いです。


人目もほぼ気にならないので、他者からは「自分勝手」「自己中」「自由」と言われることもあります。




「相手に怒られない方向」「嫌われない方向」を重要視して、本当は嫌だと感じているのに
「自分が間違っているのでは?」と考え、自分を大切に扱ってくれない人のそばに居続けてしまうことも。

ある意味怖いですね。


心の奥底では嫌だと思っているのに、大切に扱ってくれない人のそばにいる必要は本当はないんです。

本当は大切としてくれる人のそばに居たいですよね。

自分に自信を持てないがゆえに自分の発言すら疑ってしまう事もあったりしました。



『自分に自信はない』けれど、自信のない自分もまた一部。

『相手に怒られないよう』『嫌われないよう』と顔色を窺うのにも疲れて飽きました笑



母は幼少期から『過度な期待』『期待に応えた結果を褒めない』『結果の完璧さを求める』ことを私にしてきたように思うのですが。


『常にのしかかる重圧』があり、とても苦しかったです。


その母からも離れた今、『嫌うなら嫌えばいい』『あなたは私にはもう関係ない』と思っています。
ここへ辿り着くまでに人生の半分を費やしてしまいました。



私のようにとてつもない時間を費やして、やっと

『自己肯定感の低さ』から抜け出すよりも、なるべく短い時間で『自己肯定感の高さ』を持てる人が増えたら嬉しいなと思います。


なんて書いていますが、私の自己肯定感は割りと低いです。

この根底にあるのは、恐らく『母からの長い重圧からくるものだ』と思ってはいて、


これを潰さないと私はずっとこのままだ…と母との距離を切るに近い感じで、
断ちました。



パートナーからの影響も強く、本来の私ってこんな感じなんだな、と良い意味で甘えさせてもらっています(彼が逆に大変そうではありますが)。


もう一つ。
自分に自信を持つには、思ったことを成し遂げてみるのもありです。


私は生活リズムを整えることに力を入れました。


一人で実践したので一年半、とても長く掛かってしまったのですが、夜型から朝型人間になる事ができました。


一人で実行することは時間が掛かるので、メンターがいると時短やリアルタイムで質問できたり良い事づくしかと思われます。


ですが、敢えて一人で実行し成功した際には一人ならではの喜びと自信がつくんですよね。


「自分で生活リズムを整えた」こと、良きパートナーに出逢えたこと、

それらの事柄が自信に繋がり、自己肯定感がレベル5(←)くらいに上がったのだと思います。



今(2024/03/09)はWebの勉強を再び一人でしています。

過去に趣味程度ですが、0からHTMLとCSSを参考書を見ながら作っていた、という事から自信に繋がっています。


『これだけの事を一人でやってきた』事実が、点と線で結ばれて今に至る感じです。



自信が自己肯定感に繋がる、と思うのはそういった事例もあるんだな。

と思って頂けたら幸いです。


自己肯定感を高めたいと思っている方は、自己流でも良いですしメンターに教わるなど、
何かしらのアクションを起こすのも一つの手です。


自己肯定感が高まると、気持ちのモチベーションや視点、考え方も変わってきます。

ダメな自分でもいいんです。

完璧な人間はいません。

パーフェクトなようにみえて実はもの凄い努力をしています。



嫌われてなんぼ笑 なので、ある種の開き直りが大切なのかな、と思っています。


嫌いな感情が家族間でもあったりするので、他人やネットの世界ともなれば莫大な嫌われ度になります。
気にしていては何もできなくなってしまいます。


「嫌われても気にしない」「気にしてる暇もない」と思えたら、更に生き易くなりそう。


自己肯定感、爆上がりにならないかなーと思うこの頃です。

APD-聴覚情報処理障害-

聴覚情報処理障害(APD:Auditory Processing Disorder)は、
音を感知する外耳、中耳、内耳(末梢)の機能に異常が無く『聞こえているにも関わらず』
音を認知して聴覚情報を処理する脳内の神経システム(中枢)の働きが低下して言葉の処理ができない病態。


聴覚に異常がないにもかかわらず、相手の言っている事が正確に理解できないのは、相手も自分もイライラするし歯痒く悔しいです。

何度も同じ事を聞くのも気が引けますし、かと云って知ったかぶりをするのは仕事ならば余計に良くないです。


音は聞こえるし単語なら分かるのに『会話』になると、何故分からなくなる。
全ての会話が分からないわけではなく、単純で短い会話ならレスポンスはできる。
でも長い説明や会話になると、どうしても理解出来ない。

聞いた事のない言葉が出てくると、もう外国語を話されているようでさっぱり分からない。


少し調べると発達障害(私の場合はASD+ADHD)からきているようで、ぶっちゃけ、そんなもんオマケでついてくるなって感じです。

ただでさえASD(自閉スペクトラム障害)が強くて、生きづらさを感じてるのに口頭でのやり取りが出来ないって…私が何をしたっていうんだ、と思ってしまいます。


まぁ嘆いても治ってはくれないのですが、「イラつく」と言われたりする事があるので
一言いたい。


好きでなったわけでもないし一番困ってるのは私でワザとやってるわけでもない。

全てとは言えないかも知れないけれど、病気や障害は好んでなるわけではないですよね。

いわゆる『大人の発達障害』は子供の頃に気付くことなく、大人になってから他の人とは違うと分かる場合が多いと思われます。


私も大人になって発達障害の特徴が多々あると気付きました。

現在、年齢は47歳です。

うつ病と20年も誤診断されてきて、今通っているメンタルクリニック双極性障害心理検査を受けADHDと発覚して、おまけにASDのほうが強いとも言われました。


今更、発達障害をどうにか出来るはずもないので今は自分を受け入れるしかない、と思うようにはしています。


付随してきたAPD(聴覚情報処理障害)は、昔から聞き間違いや言われていることが分からなかったのですが、頭が悪いせいと思っていました。
まぁ実際、頭は悪いのですが笑


医師曰く『一つの事に集中しすぎて周りが見えなくなる』、私のASDの特徴らしいです。自覚はありません。


APDの事はもっと掘り下げてから書こうと思ったのですが、自分の中で溜め込んでいたネタだったので敢えて記事(なのか?)にしてみました。


ASDだのADHDだのAPDだの、もう訳が分かりませんよね。


ほんの少しでも片隅にそっと置いていてくれたら当事者が少し(?)生き易くなるかも知れない、と云うお話でした。

 

100%理解して欲しいとは言いません。
10%、分かってもらえると嬉しいです。


最近、YouTubeで音声だけではなく言語化してくれるお陰で、言っている事(話している事)が理解できるのでとても助かります。